その日、 私は話せなくなった。
話せないは話せないでも、声が出ない方じゃない。
伝えたい言葉が反対になるという難儀な方だ。
どうして自分がこんなになってしまったのか分からない。
伝えるべき言葉を、伝えたい言葉が、裏返されて、相手に届いたあの瞬間。
異変にはすぐに気がついた。
それと同時に冷や汗も出た。
違う
私はこんなのが言いたいんじゃない、
お願い、
わかって。
慌てて首を横に振って、私よりも小さな小さな身体を抱きしめた。
お願い、
届いて。
人よりも力が無い方だった。
それでも、私の持てる限りの力で、彼女を抱きしめた。
嗚呼。
話すべき事柄を伝えられないだなんて
「本来」が不可能になったこの現状はなんて面倒なのだろう。
機能を1つ失っただけで人間はこうも不便だとは。
ねぇ、心優しかった君へ。
言いたいことは沢山あったの。
雨宿りさせてくれてありがとう。
彼に授けられた名は気に入ってくれたかな。
料理作ってくれてありがとう。
美味しかったよ。
物覚えが良いね。
沢山遊んだね。
楽しかった
大好きだよ
私だって、本当は
貴女を救ってあげたかったの
名が与えられた彼女は人になった。
精神科へ行き、診断書を下された私は職場に復帰日未定で
休職届を出して治療に専念することになった。
そりゃそうだ。
こんな面倒な症状でまともに仕事はできないし、一刻も早く治したい。
急ぎの用も無かったが、声を発せないという事実は
予想以上に不便極まりなかった。
スマホかメモ帳を必ず持ち、外に出る際は友人等に付き添ってもらう。
言葉で伝えず、文字で気持ちを伝える手段にも慣れてきた。
瑞樹と慶祐が見舞いに来た。
見舞いついでに晩御飯食べに来たとかで買い物を手伝ってもらうことに。
「ななみぃ 次何探せばいいー?」
[今冷蔵庫の中に野菜が無くて]
「あーお野菜無いんだ。 何が良い?」
[サラダしたいからキャベツがいいな]
「キャベツ? おっけー! 向こうあった気がする!」
「あっちょっ 流石に野菜は七海に
直接選んでもらった方がいいんじゃ・・! ・・・あーあ」
[(笑) ダメだったら返しに行かせるからいいよ(笑) ありがと]
「無駄な労力使わせる気満々だね・・・・ ていうか七海さ」
「?」
「フリック速くなったね」
「ふ、」
[まぁこんだけ打っていればね?(笑)]
あの子が居ないのは寂しい。
居ないことをずっと嘆いても彼女は浮かばれない。
なら今この日常を精一杯生きるのが、私の役目じゃないだろうか。