廣瀬冬華は視認した-阿雲加奈は見守っている

署内の自販機から缶コーヒーを1つ購入して休憩所まで歩く。

 

休憩所に設置されたローテーブルを挟み、向かい合わせに置かれたソファに座っている人影。

 

いつものように括られたサイドテールは、窓から空を見つめていた

彼女の顔を綺麗に隠しており、表情は伺えなかった。

 

「秋恵」

 

名前を呼ぶと、その人影は一拍とせずにこちらを振り向いた。

私の姿を視界に収めた彼女が「お」と声をあげる。

 

「お疲れ様」

「お疲れー。 冬華も休憩?」

「うん。 パトロール一息付いたから」

 

そんな会話をしながら、秋恵のテーブルを挟んだ向かい側に座る。

私の話に頷いた彼女はまた、窓越しに空を見上げた。

 

「・・今日はよく見上げてるね」

「あえ?」

「空。 私が来た時も見てた」

 

缶コーヒーを右手に、左手で窓際へと人差し指をさす。

秋恵は少し瞬きを繰り返した後、小さく笑って。

 

「やー、深い意味はないんやけど」

「うん」

「そろそろ3年やなぁって思ったらつい」

「・・・加奈先輩?」

「そ」

 

正直、私は驚いていた。

 

彼女が加奈先輩のことを話すは実に何年ぶりだろう。

私と秋恵が、彼女のことを話題にしたのは何年ぶりだろう。

 

少し視線を落として、両手で包まれた冷たい缶コーヒーを見つめる。

 

こみ上げてくる、この感情は、秋恵とは違うもの

 

「・・加奈先輩、 どこ行っちゃったんだろ、」

「・・・せやなぁ」

 

・・・ほらね、

 

加奈先輩の話題になると、こうやってしんみりしちゃうから

秋恵も私も、彼女の話題を出さなかったんだ。

 

俯いている私の視界。 自らの脚と両手に包まれた缶コーヒー。

何も乗っていないローテーブル。 向かいに座っている秋恵の脚。

 

今、貴女はどんな表情をしてるのだろう。

 

「・・正直、加奈が何の痕跡も残さずに消えるとか

 3年も何も言わずにどっか行くとか ありえへんのよな」

「・・・うん」

「そう考えると、なんか」

「うん」

「加奈はもう、この世にはおらんのかもなぁ・・とか考えてしもーて」

 

唇を噛む。 私は、彼女に 言う気はさらさらないのだ。

 

彼女と加奈先輩の仲の良さは折り紙つきだった。

加奈先輩は、私達が警察学校を卒業する前から

「親友が後輩として来るんです」って、嬉しそうに話していたらしい

 

私にですら、行方不明だって伝えられたの。

周りも、秋恵には言うつもりがないのだ。

 

俯いている私が落ち込んだのかと思ったのか、

秋恵が「あ、ごめん」と謝り一言

 

「いやいや、あの加奈のことやって。 そのうち戻ってくるわ」

 

少し笑ったような気配の秋恵は、また空を見上げたようだった。

 

・・・秋恵、

もう、戻ってこないんだよ。

 

持っていた開封していない缶コーヒーを弱々しく握りしめる。

視界がじんわりとぼやけていく。

 

あぁ、彼女絡みで泣きそうになるのもいつぶりかしれない。

 

ぼやけた視界、に、

秋恵の隣に誰かが座っているのが見えた。

 

え。

思わず息を呑む。

 

ゆっくりと、顔を上げた先 秋恵の隣に座る女性の姿

茶色の髪を高い位置で括りあげ、真っ直ぐ赤い線が引かれた首

 

彼女は、秋恵の隣に座って 私の知っている、

あの優しくて穏やかな笑みで 空と、秋恵を、眺めていた。

 

3年ぶり、 そう 3年ぶり。

 

私が見つめていることに気づいたその人は、一度笑みをこちらに向けた後、

人差し指を口元に寄せ、少し困ったように眉を寄せてまた笑ったのだ。

 

小さく動いた唇は、一音すら発することができなかった。

まるで海に入った時のように、視界いっぱいに滲んだ涙は

一滴だけ右頬を伝って落ちていった。

 

言葉を、声を、息を、全て飲み込んでソファから立ち上がる

 

「っ、ごめん 私ちょっとトイレ!」

「おう、いってきー」

 

その場から逃げるように歩を進めた。

手をひらりと振る秋恵の姿が、ぼやけたままの視界に映った。

 

きっと涙声だった。

秋恵は多分、そのことにも気づいてた。

でも今はそれどころではなかった

 

だってそのままあの場に居たら、2人を困らせていた。

 

 

 

人気のない非常階段に座り込む。

ほとんど使われない非常階段は清掃の頻度も少ないようで少し埃っぽい。

 

鼻と口元を手で覆い、留まることを知らない涙が覆った手を伝い、

人差し指と親指の間に水滴が溜まっていく。

 

漏れる嗚咽は、人気のない狭い非常階段の壁を反響して返ってきた。

返ってきた音は、私の堪えていた物を後押しするように、

 

 

加奈先輩は死んだ。

 

そうだよ、秋恵

もう加奈先輩はこの世には居ないんだ

 

言えなくて、言いたくなくてごめん、 我侭でごめんね。

親友なのに、大事なことを3年も伝えられなかった私を許してね

 

でもね、秋恵

 

加奈先輩は、私達のことを見ていた

 

あの優しい表情で、穏やかな笑みを浮かべて

加奈先輩は貴女の隣に、確かに座っていたの

 

だって加奈先輩が私達の側から離れるなんて、信じられないでしょう?

 

加奈先輩は私達をずっと見守ってくれていた。

それを知ったのと同時に、

彼女は本当に死んでいたという事実も突きつけられたのだ

 

錯綜とする感情は、ただただ涙の後押しとなって

 

悲しかったのか、嬉しかったのか

 

もう、何も分からないのだ

 

 

 

「・・冬華、泣いとった?」

(・・・かもねぇ)

 

「言わん方がよかったかなぁ・・まぁせやろなぁ・・失敗したな」

(・・・・)

 

「・・あ、そろそろ休憩終わるか?」

(あ、ほんと。 ちょっと早いけどパトロール行ってくるね)

 

 

 

 (御茶会生還前提、3年経った夏のある暑い日のお話)