そして江里口愛名は日常に溶けていく

――落ちていく。

 

伸ばした指先、空を切った、

いつもよりも小さい手は何も触れられないでいた。

 

落ちていく、 嗚呼、 ごめんなさい、

 

いつからか覚えてないほどの久しぶりの感触、

頬を伝った涙ははたして誰へ宛てた物だった?

 

絡みつく蔓は、もがれそうなほどに、強く、縛られていた

 

 

――沈んでいく。

 

気がつけば自分は水中だった。

水は綺麗とは言えないでいて、水面なんて見えずに、

 

沈んでいく、 自分の意思とは裏腹に、

 

息は辛く、遠のいていく視界と意識、

水中ってこんなに暗いんだと、考えていた。

 

 

――上っていく、

 

意識が戻った時には、既に自分は咳き込んでいた。

水が器官に入ったらしく、繰り返している咳は意外としんどい。

 

冷たい床、冷え切った身体、

それなのに何かに凭れている側面は温かい、

 

咳き込みながら微かに開いた視界、

見上げた先に、愛しい人が、私を抱き支えて様子を眺めていた

 

上っていく、

 

私はあれほど落ちて、沈んだというのに

彼は私をそこから引き上げたらしい。

 

 

ふと、目を覚ました。

 

見覚えのある天井、ぼんやりとした視界で瞬きを繰り返す。

雨が降っているらしくて、窓の外からはザアザアと水の落ちていく音がしていた。

 

・・・夢・・・?

にしては随分と・・

 

時間を確認しようと時計に手を伸ばそうとして、

・・自分の手が止まった。

 

手首に、腕に、何かが巻き付いた痕が残っている。

 

眠気が吹き飛びそうになるほどのインパクト。

冬であるにも関わらず掛け布団と毛布を剥ぐ。

 

足にも同じような痕が残っていた。

 

・・・短い時間でいろいろあったせいか、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

少し眉を寄せながら、枕元に置いていたスマホを手に取る。

・・・アドレス帳に黒斗さんの名前、

 

彼の名前を少し見つめた後、ゆっくりと発信ボタンを押した。

私から電話を掛けるのはいつ以来だろうか。

 

数回のコールの後、通話越しに雨に混じって

「はい」という黒斗さんの声を耳にする。

 

 

「あ、黒斗さん・・?」

「”・・愛名?”」

「はい、愛名です。 あの、」

「”?”」

 

「ただの・・夢、なんですけれど。

 ・・・黒斗さんに、命を助けてもらう夢を見て」

「”・・あぁ”」

「声が、聞きたくなって。 ・・ふふ、ありがとうございました」

 

「”あぁ・・まぁ無事で何より、 気分悪くないか”」

「あはは、平気です。 寝起きでちょっと頭回ってないけれど」

「”・・そうか、 ならいい。

 ・・・ところで愛名、1つ聞きたいのだが”」

「はい・・?」

 

「”お前、今日は朝からバイトじゃなかったか”」

「・・・あっ」

 

 

黒斗さんの言葉に慌てて時計に手に取り確認する。

時間は7時をとっくに回っていた。

 

 

「うわわ、バッチリ遅刻ですね・・! ごめんなさい準備してきます!」

「”あぁ、気をつけて”」

「ありがとうございました!」

「”どういたしまして”」

 

 

本当に、微かに含まれた笑みを耳に、通話を切る。

 

心配のメッセージを含んだ、いくつか件数の来たLINEを開き、

慌ててタップしていく。

 

――――――

わああ紅蘭さんごめんなさい!

寝坊しました!!

――――――

準備次第向かいます!

本当にごめんなさい!(´д`;)

――――――

 

それだけ打ち終えるとスマホをベッドの上に置き、

クローゼットの中を開いた。

 

・・・普段ニーハイだけど、今日はタイツにしておこう、

 

 

着替えて、ご飯を食べて、鞄を肩に掛けて、

傘を手にとって、玄関を出て行く。

 

土砂降りというほどではないけど、小雨とは呼べない雨の中。

彼女は傘を差して歩いて行く。

 

 

「おはようございます 紅蘭さん本当にごめんなさい!」

「あ、愛名ちゃんおはよう。 よかった、」

「本当に申し訳ないです・・ 荷物置いて準備してきますね」