嘘と救済/小太刀喜助と心配症の☓☓ ☓☓

「ぅ゛……あ、っが、や、めろ……やめ、離せ…ッ」

 

緑色の目に射止められる。視線を逸らしたくても逸らせなくて、じわりと眦に涙が浮かぶのを自覚した。喉が震え、身体が使い物にならなくなっていく。鈍くてかる触手のようなものが俺を絡め取り、手を、足を、喉を、ぎちぎちと締めあげる。叫んでいたはずの声はいつしかか細い息に変わって視界が歪み、俺を見つめる深緑の目もぼやけ、ただ真っ黒な世界が俺を拘束する。

 

「…ぁ、ああ、うああぁ…っ!も、…や、ぇ、……はなし、…っう、ぐ…………」

 

あの日と同じように、心臓に這わされた触手。黒いそれがゆっくりと愛おしげに胸を這い、それと時を同じくして俺を穿つ不気味な眼光…………は、今まで通りだったのに。

 

「っ、!?あ、ぁ…!?っひ、あぁ、あ、やめ、…やめろ…!」

 

ずぷり。

あの日と全く違う光景。黒い触手が胸を貫いていた。血も零れないし、痛みは感じない。当たり前だ、これは夢なのだから。夢の中で、痛みを感じるはずはない。

 

だったら、あの日の出来事は?

あの日の出来事は夢ではなかったのか?

だってこいつに絞められた痕は、あんなにも痛く、

 

(……け、………い………)

 

「う、ああ、あ、っ…ぁ、……」

 

呼吸困難のせいか、ぼろりと生理的な涙がこぼれた。息が出来ない。かき乱すでもなく、引き抜くでもなく、ただただずぶりずぶりと俺の心臓を貫く触手。真正面から俺を見る緑の瞳が艶やかに不気味に輝いた。

 

(き…け、…んぱ………すけ、せんぱ…)

 

「あ、…ッぁ、……………………た、すけ……ッ」

 

初めて、懇願の言葉が漏れる。もう、音にもなっていない言葉だった。もしかしたら唇すら動いていなかったかもしれない。それでもいいと思った。身も世もなくただ光に縋った。どうか、どうか助けてくれと。初めて見る夢の末路を知りたくなかった。心臓を貫かれて、首を絞められて、意識を闇に塗りつぶされて。その先に何があるかなんて、嫌でもわかってしまうから。

 

ふざけないでほしかった。

俺は、俺は、死ぬために生きてきたわけじゃない。 たとえ死んでも誰かを前に向かせるために、生きていたんだ。

俺は、俺は、ここで心臓を止めるわけにはいかない。けれど、俺を視線で穿つ緑眼はぼやけうまくピントも合わない。かひゅ、と、喉の奥から息が漏れる音。俺が望んだ光は助けに来てくれたのだろうか?それさえ今の俺には知る由もない。いつもと違うやり方で、けれどいつもと同じ終焉だった。

 

俺にできる、さいごの、わるあがき。

目は閉じない。最期まで、この世界を睨みつける。

視界の歪みが酷くなる。元々黒に囲まれた世界だ、視力が働かなくなるのはすぐだった。

霧にでも包まれたように景色が掠れていくそのときに、

 

おぞましく煌いていた深緑が、ゆるりと一つまばたきをした。

 

(……きすけ、せんぱい!)

 

優しい『誰か』の声がした。視界に映る1人の女性が、俺を心配そうに見つめる久方ぶりのあの時までの部下の記憶と霞む。

 

 

その首筋には、鮮やかに引かれた赤が一線、

 

 

 

(……ああ、よかった。……喜助先輩、目を覚ませた)

 

 

……………目覚めたのは、普段通りの職場だった。

 

「……阿雲………?」

 

思わず口から零れ落ちた、懐かしい部下の名前。開いたままになっていた後方のカーテンからひゅうと温もりを孕む風が吹き込んだ。机に突っ伏したままに悪夢を見てしまっていたらしい。

がたんと大きな音がした。視線を上げると、小鳥遊がこちらを見つめているのと目が合う。

 

「……………加奈……?」

 

弱々しく震える部下の声は、いつか消えたはずの『誰か』の、安心しきったような優しい溜息の音に重なって消えて行く。

 

昼下がり、温かい日の光が俺に降り注ぐ、実に穏やかな平日のことだった。